世界のどこかでおはようございます!ツヨシ(@tsuyoshi)です!
今回から新たなカテゴリーとして僕の ‘家族の介護’ に関して記録していく。
もう既に始まっている(半年)+これからが本番になる今から書き残し始める。具合や条件など様々な家族環境差がある中の一つとして誰かの参考になればいいし、気が楽になればいいし、僕自身も冷静な時に言語化することで、胸を撫で下ろすきっかけになれば良い。
更新に定期性は無いが、思い出した頃にでも読んでもらえたら幸いだ。今回は最初の記事なので、僕の事を話つつ、今後ゆっくりと共有して行こうと思う。
–✈︎—-✈︎—-✈︎—-✈︎—-僕はこんな人—-✈︎—-✈︎—-✈︎—-✈︎-
介護する選択
ブログ媒体で声を大にして ‘家族の介護’ とは言ったものの、世間一般の介護なんかとは比にならないくらいまだまだ序の口、ただ僕の中では甘く見ていない、油断をしていない。僕は2018年から海外で生活をしていて、今回家族(主に母)からのSOSを受けて、2024年の夏、ビザの切れ目を機に帰国した。
キッカケとしては、凡そ5年前、父が難病に患ったこと。好きな事をしている息子には迷惑を掛けまいと僕は後から知った話だが、家族が話し合いがあった上で、定年までの残り数年を働き切りたいという父の願望を叶える為に、母がフルタイムでの仕事をしながら、父の仕事のサポートとしていた。それと年近しくして、母方の父が亡くなり、父方の祖父母(同敷地内 別棟)の老化が進んでいた。これら要素が点から線になった頃に僕は日本への帰国を決めた。
元々、工場だった僕の実家は敷地面積が大きい(≒600坪)。帰国し、実家の広い庭の多様性に腰を抜かした。これはまずいぞ、国立公園の中でも立ち入り禁止地区じゃあないか。子供の頃にBBQをしたり、花火をした庭の姿が見る影も無い。

とは言え 久しぶりの日本。友達と会いつつ、観光をしつつ、食文化を満喫しつつ、家族でもお出掛けをする機会を増やした。


6年振りに見る祖父母の老化は確かに頷ける。それでも僕が帰国した2024年は まだ 元気な様子。県外までランチを食べに行ったり、紅葉を見に行ったりしていた。今振り返ると、今年(2025年)の年始から動きが少しづつ変わり始めた。無理くりにでも偶には外に出そうと連れ出した桜鑑賞(3月)を最後に、外食も含め一切外出しなくなった。

ところで僕は、過去13年間 20社程の個人事業飲食店勤務の経験があるので、現在は夜知り合いのお店のお手伝い、また知り合いの新しい事業の立ち上げの手伝いをしながら、明るい時間は家の手伝いをするといった生活を過ごしている。

外壁やウッドデッキの塗装(まだ途中)

不要な木の剪定(まだ途中)

それに勿論、草取りと言うか、庭の手入れと言うか、ソレ。
数ヶ月経ったらまた直ぐに生えてくる草を見ると、雑草ってこんなもんだっけ?と眉が引き攣る。

もういっその事、ここでドッグランや子供の遊べるスペースのある外カフェでも開業してやろうか、国立公園カフェ。5分くらい草取り手伝ってくれた子供(冗談だよーん)にはお菓子とジュースをサービスってね。
そうそう、父は現役で仕事をしているので、平日は職場への送り迎えがある。週末の病院の送り迎えに加えて、祖父母の様々な買い物とご飯作り。絶対に僕がやらなくてはならない事は一つもないが、家族内の誰かが助かっているのなら手伝ってあげたい。と取り敢えず今はまだ思えている。何だが一方的に苦労自慢を聞かされているように感じる人もいるかも知れないが、もっと苦労をしている人を僕は知っているし、これは僕が現在の自分のストレスを発散させる且つ、数年前の自分の感情を後から見返せる様にも書き残しておく。
それから何周目かの草が刈り終えた頃から祖父に少し認知症らしき症状が出始めた。やたら攻撃的に怒りっぽくなった。僕には分析出来ないが、マルチに出来ると思っている自分と現実の自分とのギャップに苛立ちを感じている様子。また自分が言った事、した事をはっきりと覚えていられない事が増え、人のせいにしながら毎日大きな声を出し始めた。時同じくして15年程 身体障害者(足が悪い)の祖母の足が歩く事が困難な程に悪化し始めた。要支援2をもらい、歩行器をレンタルする流れになったのが丁度今週(2025年9月)。そもそも車の免許を持っていない祖父と病気により運転が禁止されている父、運転が困難になってきた祖母が揃うと、いよいよ本格的に手助けが必要となるな。と覚悟している。
更に家の場合はそれに加えて、20年に渡る祖父母兄妹の兄弟喧嘩により、未だに相続が終わっていない問題もある。今年のお盆には、いよいよ痺れを切らし、話し合いの場を設けた事で喧嘩が一層発展した。それでも家族の事もあるので秋には改めて ‘相続の件は進めよう’ と決まったので、良いのか悪いのか一先ずは結果ポジティブ。
間も無く 家族内で3人同時に手助けがいる状況になる。30代前半でこういう経験だなんて、海外にいた頃の20代の僕には到底未来視出来なかったが、現実が故にやるしかない。帰国してからは、家賃を入れろとの話なので、アルバイトをしつつ、3人まとめて手助けしていると僕が動ける時間が非常に変速だが、一人づつ3-4年を連続して例えば10年間手助けがいるみたいな状況になると僕には耐えられなかったかも知れない。
とりあえず、できる範囲で一つづつクリアにしていく。
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